Ethtronic Music Unit 茜-AKANE-
ZAKKI (雑記)
コンテストといえば・・
その昔、コンテストあらしなんて言葉がはやっていて
(はやってないって!というか昔の話ちょっと多すぎるし・・・)
ワタクシもなんだかいろいろ出しておりました。
○マハの○プコンだとか、ビクターオーディションとか・・。
(写真は関係ないのね、私のお仕事の一環)
今の中堅ミュージシャン、このあたりから出てきた人が
けっこう多いですの。
ワタクシの場合はこんな時代から打ち込み系だったもんで
(正確には前述のとおり多重録音派と言うんですかね・・)
そういうライブ中心のコンテストには不向きだったのですが、
他に自分を試す機会がなかったので、とりあえず出してたりしました。
そうするとたいがい、一次テープ審査ってのは通るんです。
ところが、2次審査のライブができない・・。(当然や)
でもせっかくのチャンスなのに断るなんてもったいない・・!
その度にちょっと楽器のできる友人を無理に引っ張り出して
超~付け焼き刃的即席ユニットを作って猛練習させ(強引・・)
ライブ審査に臨みましたが、慣れない演奏にたいがい玉砕してました・・・。
(友人にはいやがられるし・・)
当時の自分は一緒にバンドなどやる仲間もそうそうなく
多重録音派にはまだまだ厳しい時代でした。
しかし、もうこれだけ打ち込み主流な今の時代。
いろいろな形で自分を発表することができてホントすごい・・。
ちなみに当時ワタクシが参加した○マハの○プコン
(だからばればれだっちゅうの)で、同じステージに立っていた
てつ100%というバンドがその年、優秀賞をとってCDデビューしました。
そこでキーボードを弾いていたのが、あの管野よう子さんだったりします。
てつ100%はおふざけも真面目もどちらのタイプもこなせる
実力のあるバンドで私は大好きでありました。
彼女の才能もこのてつ100%のアルバムで当時から
しっかり発揮されてました。
そしてこの時のワタクシはといえば相変わらず
2次ライブ審査であえなく落ちてたわけです、とほほほ・・。
by sally
きっかけ2
1週間ばかし体調を崩しておりました…ぬー、何なんだ今年の春は…
さてさて、4/12の日記の続き
「お三味線上達したいと思うなら、唄も…」
と師匠に言われ、しぶしぶ唄を習い始める私
しぶしぶというのも…
実は、「人前で歌う」という行為が超苦手でして
音感とかリズム感云々とか、そのへんにまったく自信がなく、
「下手を晒すのはカッコ悪い」と思い込んでいた当時は
自分が人前で唄を唄うなどまったく考えられませんでした
ましてや!
師匠の話を聞くと、どうも民謡の発声方法は「地声」が主流だとか!
学校の音楽の授業では「裏声」の発声しか習ってないですよフツー
地声で高い声を維持したりするなんて、
とてもじゃないけど想像つかない!たとえ師匠の前でも声出すの無理…
…ということで、師匠には
「習ってはみるけど、師匠の前以外では唄わない」
と断言しました
しかし!
そんな私の言葉などなかったかのように
他の生徒さんが沢山いる前でガンガン唄わされました
「○○大会、あなたも出場するのよ~」
いつの間にーーー!?
そして6~7年後には
「全国大会の出場、申し込んでおいたからね」
ななななんだってーーー?!
…とまぁ押されるがままに人前に引っ張り出されては唄うという
当初望んでいない状況になりました
こぶしのまわし方もろくに知らなかった私が、
まさかこんなことになろうとは…!!
あたふたしてるうちにいつの間にか全国大会出場が
決定してたといっても過言ではありません…
しかし、嫌がらずに師匠の教えに従っていて良かったと思います
今思うのですが、師匠の教育の一環だったんでしょうね、
それもかなり本格的な…
三味線も唄も、
人前で弾くようになってから急に面白くなったような気がします
そしてその後…
幻想水滸伝・Deep Forestの音楽性・
パンツァードラグーンアゼルとの出会いが
私の「声」に対する意識を変えていったのです…
長くなったのでここまでっ
~めも~
尚、私の師匠は「楽譜なしで教えるタイプ」です
師匠の奏でる三味線や唄を見よう見まねで覚え、習得する
それが基本です
だから、コブシのまわし方なんて教えてもらえません
真似してるうちに、いつの間にかそれっぽいことが
出来るようになってました(笑)
by Yumibo